tk's diary

拝金主義的な社会

最近、世の中が拝金主義的になってきているなと感じる。私自身も県民割・全国旅行支援といったお得な制度を使い倒す拝金主義者なのでそれが良いとか悪いとか言うつもりはないし、「昔は良かった」「最近の若者は」などと古代ギリシャあたりから受け継がれてきた伝統芸能をやるつもりもない。

とりあえず、いくつか項目立てて論じていこうと思う。

 

インターネット

昔のインターネットは Web 検索をすれば良質な情報がすぐに手に入った。膨大な紙の中から必要な情報を探し回る必要はもうない。当時、若かった私はこのインターネットの集合知に触れて、いたく感動したものである。

ところが、今同じように Web 検索をするといわゆるアフィブログが検索上位にずらりと並ぶ。アフィブログでも良質な情報があればいいのだが、大抵はダメ大学生のレポートのように受け売りの質の低い情報を垂れ流している。彼らはアフィリエイトアドセンスといった手段で金を稼ぐために、あらゆる手段を講じてアクセス数を伸ばそうとする。Web 検索で上位に上がる為に SEO 対策をするのも、その一環というわけだ。

特に最悪なサイトだとポップアップする広告、見えない広告、動き回る広告とやりたい放題である。多くの人が経験したことあるだろうが、これらの広告のウザさは尋常ではない。そこまでして広告を踏ませたいか、という感じである。

というわけで、現代のインターネットを生き抜く為には Web ブラウザに広告ブロック機能を導入することはもはや必須である。皆さんにもお勧めしたい。私は Chrome拡張機能のひとつである AdBlock を愛用しているが、標準で広告ブロック機能がついているブラウザ Opera を使うのも良いだろう。これらの広告ブロック機能は、(すべてではないが)大抵の広告を弾いてくれるので、快適にブラウジングできる。

 

ソーシャルゲーム

資本主義社会で営利企業が金儲けしようとするのは当たり前だが、いわゆるソシャゲはそのやり方がえげつない。

大抵のソシャゲにはガチャというものがあり、リアルマネーを使ってガチャを回すのだが、お目当てのものは確率でしか出ないようになっている。この「確率で出るかもしれない」というのが肝心であり、こういったものは依存症になりやすい。投機やギャンブルと同じだ。多くのプレイヤーはお目当てのものを引く為にガチャを回すが、その一部はやがてガチャを回すこと自体が目的となる。

また、ソシャゲは昔に比べて今は飽和しており、1年以内に終わることも珍しくない。プレイヤーから集金するだけ集金しておいて、採算が取れないと分かるやいなや即切り捨て、大抵のゲームはもう遊べなくなる。経営者としては正常な判断だが、ユーザーからすると「お前が始めた物語だろ」と言いたくなる。

このようにソシャゲは常に金儲けのにおいが付きまとう(と私は感じる)。ゲームをプレイしているとあの手この手で課金させようとしてきて、企業の都合でいつ遊べなくなるかも分からない。そういった金儲けのにおいとは切り離されたところで、ゲーム自体を楽しみたい。

というわけで私はソシャゲがあまり好きでなく、据え置きゲームが好きなのである(唐突な自分語り)。据え置きゲームよりソシャゲがメインストリームとなっている昨今の情勢はやや悲しい。

 

ブラック企業

昔は今以上に長時間労働が問題になっていたし、あらゆるハラスメントが横行していた。それでも社員は終身雇用という制度で守られており、新卒で入った企業に定年まで勤めあげるのが普通だった。働いた分だけ給料もうなぎ登りだった。こうした背景により、あらゆる理不尽がありながらも、労働者は企業に帰属意識を持って働き続けたのだ。

今はそうではない。不安定な非正規雇用が始まって久しい。終身雇用は崩壊しつつある。経営者は、労働基準法をはじめとする労働に関する法律の穴という穴をかいくぐって、労働者に給料を払わないように努力している。

こうした「見返りのない労働環境」は、昔よりいっそう過酷である。ブラック企業の経営者らはこのような過酷な労働環境で労働者を使い潰し、その労働者が潰れたら捨てて次の労働者を雇う。もはや人間は人間ではなく、使い捨ての部品として扱われる。

人間は産まれたときから働けるわけではない。家族や行政などが多大なコストを払って働けるようになるまで成長するのだ。大昔のように子供が労働力として扱われていた時代ならいざ知らず、大卒以上の学歴が当たり前になった昨今ではこのコストはかなり高い。そういった面で人間は資源(いわゆる人的資源)といってもいい。

そんな人的資源を数年で使い潰すのがブラック企業である。ブラック企業は、20年以上多大なコストを支払ってできあがった人的資源をわずか数年で使い潰す。ブラック企業は社会の資源を使い潰す社会悪である。彼らはたまに SDGs などと声高に叫んでいるが、彼らにとって人間は資源ではないらしい。

 

転売厨

ヤフオクやメルカリといったサービスの台頭により、気軽に個人で売買をできるようになった。そんな社会で生まれたのがいわゆる転売厨と呼ばれる人たちで、Twitter 民の憎悪の対象となっている。

転売厨が嫌われる最たる理由は、彼らが買い占めによって商品不足という状況を意図的に作り出し、定価から不当に値段をつり上げるからだろう。オタクにとってはたまったものではない。転売厨の実害は枚挙に暇がなく、例えば PlayStation というゲームハードは転売厨のせいで虫の息になったとされている(Nintendo Switch も一時期品薄だった)。

彼らに道徳観念というものは存在しない。何故なら、この令和の世の中において、道徳などというものは一銭にもならないからである。

 

その他

裏で金のにおいがするコンテンツは素直に楽しめなくなった。例えば、youtube で youtuber がある商品をお勧めしても、「どうせ金貰ってるんでしょ」と冷めた目でしか見られなくなった。成長とは悲しいものである。

最近はインターネットコンテンツの形も昔と比べて変化している。例えば pixiv はマネタイズの宣伝場になり、描き手同士や描き手・受け手の交流というよりも pixivFanbox や fantia といった支援サイトへの誘導の手段として使われるようになった。これ自体は作家がマネタイズできるようになったということで喜ばしい変化ではあるが、いわゆる同人ゴロと呼ばれる人たちが支援サイトに籠るようになり、炎上しなくなったのはやや残念である。同人ゴロの炎上は趣があり、季節の風物詩的な風流なイベントだった。

ほか、DLsite とかのプラットフォームでは AI で描かれたイラスト集が販売されている(らしい)。数撃てば当たるということだろうか。もはや何でもありだ。

 

とまあこんなところである。もう少し書こうと思ったが、飽きてしまったのでここまでにする。国語力のない私の散文的な文章ではあるが、最近の社会に対する私の感情が少しでも伝われば幸いである。

最後に、このブログにもアフィリエイトを貼って、「このブログも所詮アフィブログでした」というジョークを書こうと思ったが、抵抗感があったのでやめておく。幸か不幸か、私にアフィブロガーは向いていないらしい。